ベルパ橋

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2017年2月25日土曜日

クーリンチェ少年殺人事件

「ミツバチのキス」の1巻に駿河の
「出来事の意味は常にあとからやってくる」
というセリフがあるんですが・・・。

あるキャラが登場してくる時に、普通の
作劇だと、その登場人物の持ってる物語上
の重みを受け手に理解させた上で話を進め
ていくというのはよくあるやり方です。

ああ主役なんだなとか悪役なんだなとか。
映画で言えばライアン・ゴズリングなら
主役でだろうとか、登場の仕方のカット
割りBGMなどで細工します。
漫画で言えば主役顔ってのは割と根強く
あったり。

その後、初見時の印象をトレースしよう
が、裏切ろうが印象付け自体は必要です
よね。ふつう。観る人を物語にいざなう
方法といいますか。

ところがそもそも現実にはそういうこと
はない。あなたの目の前に現れた、ある
人と、その後どういう関係になるのか?
その段階ではわかりませんよね?

存在感の薄い人が大事な人になったりす
る事も普通にある事で。
「会社の同僚なので、仲良くしなきゃ
いけない相手」みたいな属性に対する
心構えなどはあるでしょうけども。

人物の扱いだけではなく物語上の出来事
には、すべて作用というか意味がありき
な訳です。

でも現実は定型的な物語のようには、
判りやすくないし「意味」など無い出来
事の集積です。その中から事後的に意味
を持ったり、意味を持たないまままま
忘れられたりしていくわけです。

また、当面した出来事に意味を感じたと
しても、その意味も経験によって常に
変わっていく。リアルタイムでは何とも
思ってなかった誰かの言葉が後々意味を
持つこともある。
当たり前の話ですけどね。
子供の時に親に言われた言葉が大人に
なって判るとか。

さて3月からリバイバル公開される
「クーリンチェ少年殺人事件」は
そういう「意味があらかじめ与えられた
物語」とは構えの異なる映画で。

その時、目の前で起きている出来事が
どういう物語上の意味を持っているのか
をBGMやカメラワークで解らせてくれた
りせず、現実の私達が巡り会う仕方と
同じよう進みながら出会うのですです。

勿論それはこの映画に物語がないって
事でもありません。定型的な語りでは
与えることのできない、豊かな余白、
ふくらみをもった空間・・・それを
「物語」と言っていいのか迷わせて
しまうなにか・・・・・・
豊潤で、鮮烈な「なにか」・・・を
残してくれる映画で。

版権上の理由で長らくDVD販売も
上映も出来なかった、この映画ですが
ついに再公開です。

初見はレンタルビデオかBSかだったと
思うんですが、この映画の中で重要な
意味を持つ「黒」が、白ボケた感じで
ね。

中古LDプレイヤーを1000円だか
そのくらいの捨て値で買って(DVD
時代だったので)LD板をプレミア価
格で買ったりしました。

あうっ、いけない
物の値段をつい口にしてしまう癖が。
品性の貧しさが。

とにかく年に一度は見たい映画なんです
あの黒をスクリーンで、暗闇で見れるな
んて

http://www.bitters.co.jp/abrightersummerday/