2019年3月10日日曜日

没供養






ウルナもこれで最終巻
みなさまよろしくありがとう

2019年3月7日木曜日

7巻から

ウルナのあるシーンの変遷

雑誌連載時































直し過程(小山ゆう先生風)




決定後




な感じで苦労したウルナのラストカット見てやってね♥

2019年3月5日火曜日

出版できるということ

単行本制作時にはちょいちょい揉めた。
1巻を除いて必ずしも奇を衒ったような造りでは
ないけれど、全てはこちら側の過大な要求ゆえ。

ウルナの装丁は伊図が望んだ、ある水準に対して
デザイナーさんと編集者側が応えてくれたもので
自分ならあんなコストのかかることはできないし
やろうとしない。

他者の努力によって可能になることは非常に多い。
独りではできないことが人の力を借りると出来る。
伊図の単行本を見ていただくと判りますが、常に
厚めだったりする。

その厚みが全面的に、100%正しかったとも思わ
ない。

削れるところだってあったはず。まあどこかでは
折れなければいけないので、線引き問題として線
の位置が高い(低い?)とは言える。

そういう漫画家側の我に編集者が応える義務は
あるのだろうか?

ない。
どう考えてもない。

よっぽどの才能でない限り代わりはいくらでも
いる。より効率的に(ページ数を抑えて)劣らぬ
クオリティで描ける漫画家など腐るほどいる。
自分の代わりの弾などいくらでもある。

しかしそれに付き合うことが漫画に向き合うこと
だと信じて生きてきた編集者にたまさか出会えて、
その編集者人生の余幅を使わせてもらった結果と
して「銃座のウルナ」は今の形で世に出せた。
編集者が違ったら当然、今の形では出ていない。

なにしろ最初は他の所に見せて「2巻で終わって
ね」と言われていた作品だ。五巻くらいで終わっ
てても不思議ではないし、後半の展開は許されず
ずうっと戦闘が続き、ウルナが人を殺し続ける
英雄譚としてしか、その存在を許されなかった
かもしれない。それは低くない可能性で本当に
有り得たことなのだ。

ウルナを17歳の目の大きな細身のアイドルの
ような容姿にすれば、売れた可能性がどれだけ
あるが知らないが、少しはあったかもしれない。
マジか!

とはいえウルナが二重顎でいられたのも
ウルナの鼻が微妙に曲がっているのも
所謂美女も美男もほとんど出てこないのも
編集者がそれを許したからだ。
(主人公顔が避けられないのは伊図の才能の限界)

色々なことがあってウルナは今の形で存在してい
ます。それが良いことなのか悪いことなのかなん
とも言い難い。もし言えることがあるとすれば、
現にこの形で存在しているという現実だけが
唯一確かなもの、というくらい。

この漫画が果たしてそういう編集者や出版社、
デザイナーさんへのご苦労に報い得た漫画になっ
たのかどうか。それも判らない。

製作過程の局面局面で

「この漫画はそこまで他者に苦労を掛けていい、
やりがいのある作品なのか?」と自問する。

だがすぐに気づく。
それは自分が決めるべきではない、と。
自分が漫画家として卑小な存在だとしても、
偉大な巨匠だとしても、気持ちは、姿勢は、
常に同じでなければならないと。


自分の作品がそれら他者に背負わせた苦労に
報い得る価値がなければ、消えていくだけだ。

単に。

みなさま色々ありがとうございました。

キモイ文ですみませぬ。



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2019年3月4日月曜日

ウルナ7巻 3/11に出ます

以下な感じの表紙イメージです




よろしくです

2019年1月30日水曜日

2019年1月15日火曜日

とある冬に

エロい暇人 @eroi_himajin

僕も大好きな桂あいりさん。
そのファンの方がご逝去されたそう
です。

ファンの方がその生の最後の時に、
最後の力を振り絞って自作について
感想を書き残されるというのは・・・
いち漫画家として、その重さに値する
言葉はとても見つからないのですが

ご冥福をお祈りします。

2019年1月7日月曜日

インプット、インプット・・

仕事漬けの日々が続いたのでウルナが一段落した
年末年始にまとめて映画見るなど。再見多し

「スノーマン 雪闇の殺人鬼」
「弾丸を噛め」
「ブラックサンデー」
「インファナルアフェア1,2」
「ペンタゴンペーパーズ」
「北国の帝王」
「破壊!」
「セデック・バレ」

いやあ暑苦しい